むなしさ
「これは好きだったものだからきっと喜ぶね!」
「あー!それ好きそう!」
「こういうの好きだったからきっとこれも好きだね!」
仏棚に主人の好きな物をお上げしたり、頂いたりして、予想で「好きそうだから」と返事する事に最近虚しさを感じるようになってきた。
だってもう主人は居ないのに、上げても減らない、本当に好きかもわからないものをお供えする事に何の意味があるのかわからない。
子育て中だって心情も関係あるかもしれないけど、なんかもう、意味のあることしかしたくない。
何をしたって主人はもう戻ってこない、一緒に暮らせない。
過去の思い出や、目の前にいる子供を大事にしながら生きていくだけ
3歳の子供はカーテンの後ろに入ったり、蝋燭や線香に興味持ったり、灰を吹いたり、リビングに置いてる主人の遺影やお位牌セットが危険に…
早く仏壇買わなくちゃ
きっと一生ものになるから値段はあんまり気にしてないけど、、大事な点はお骨壷を仕舞えて、リビングに溶け込むもの。
ずっとウチに居てほしい。
少し前まで子供が「わたしがついてるからね!大丈夫!」「パパはわたしだよ、わたしがパパだよ」って言ってくれて元気付けてくれてたけど
最近は時々「パパに会いたい…」と言ってメソメソするから、「パパに会いたい」ってもう私は言っちゃいけない気がしてる。
本当はパパに会いたいよね